ゆるむるぅむ *monde

 

+ Destination digestion : Paris +

 
いろんな理由で、旅から遠ざかっていた空白の時期がある。物理的に、また心理的にも当時はそれでも構わないと思っていた。もちろん、「旅」への気持ちを失くしてしまっていたわけではないのだが、ただほかにもっと優先したいことがあったから‥。そうして月日は巡りめぐって、また自由にどこかに行ってみようかな‥ 行きたいな‥ うん、行こう‥! と、気持ち新たにプランを立て始めるまでに、なんと実に7年も経過していたようだ。まぁプランといっても大袈裟なものではなく、久しぶりにフランスの友人たちに会いにゆき、そのついでに大好きな南仏を再訪しつつ、知らない場所にもちょっと行けたらなぁ‥という感じだった。
 

そこから間もないある新年の冬の午後、約10年ぶりの Paris に降り立った。ガタンゴト‥と変わらず懐かしい響きのメトロに乗って、街にぽつりぽつりと夕刻の明かりが灯りはじめた18区へ。家路を急ぐ人混みの通りを分け入るように進み行き、友人のアパートメント前に到着したところで、あらかじめ教えてもらっていた入口のdigiコードを押す。
 

カチャッと軽快な鍵の開く音を聞いてから、青色に塗られた重厚で大きな木の扉をぐぅいっと押し開ける。そのまま郵便受けがずらりと並ぶ薄暗い廊下を過ぎ、小さな中庭を抜けるとすぐ向かいの奥の棟へ入る。ここにも本来なら digi コードの要る上半分はガラスのこじんまりとしたオートロック扉があるのだが、皆さほど気にしないのかすでに半開きになっていたりと、いつもわりとそんな調子だった。
 

ひんやりとしたホールで上を見上げる。エレベーターはないので、そこからは階段を登って行かなくてはならない。それは黒い鉄脚の手すりが付けられた、幅も狭く急な木製の螺旋階段だ。グルグルグル‥、はふぅ今ここ何階‥? と、時々立ち止まって息を整えながら、ずっしりと肩に食い込む重たいバックパックと一緒にゆっくり、そろりそろりと登っていく‥。
 

手動スイッチで数分間点くライトが時間切れでふっと消えてしまうと、暗がりの中、他所のお宅の呼び鈴と間違えないように目を凝らしながら壁にあるスイッチを探し、見つけてまたオンし直さなくてはならない。そうしてようやく、最上階から一つ下の6階まで登り、ちょっと一息置いてからビーッと短く玄関脇のブザーを鳴らすと、すぐに内側からドアが開けられ、昔のままにやさしく懐かしい笑顔が出迎えてくれた。
 

部屋に入ると、そこはほぼ以前訪れた時のままの様子で、家具もその配置もちっとも変わっていなかった。玄関脇にはコートハンガーと鏡、そしてレトロな本棚と奥の端にはウッドキャビネット。壁で仕切られた細長いキッチンには小さな流しと簡易テーブル、斜め向かいには雑然といろんな物が置かれたバスルーム。リビングにはフランス式の窓が二箇所あり、それぞれに竹製のシェードが架けられている。窓のひとつに面したデスクには、大きなモニターとコンピュータが2台。あとは書類や雑誌などの積まれたローテーブル、その奥にクローゼットと寝室スペースのある空間だ。歩くたびに軋んでミシ‥ミシ‥と音のする古い板張りの床には飛石のごとく、いくつかのラグが敷かれている。
 

窓から外を眺めると、真向かいに別のアパートメントが立ちはだかっているもののバルコニー側なので、各住人たちのそれぞれに趣の違う設えや暮らす様子までも時々垣間見れて面白いし、敷地の中間には大きな木々もある。北向きだがさすがに6階というのもあって、陽の光を映す空も広く見えた。ただ上階ならではのシャワーの水圧の低さも相変わらずだったが‥。あえて前と違っていたことといえば、キッチンの棚にカフェ用マキネッタがコレクションの如く増えてずらりと並んでいたことや、大切なものが入っているらしいチェストがもう一つの窓の前に置かれ、キャビネットやデスクの上に知らない人の写真が飾られていたことぐらいだろうか。
 
 

まぁそんなわけで、この友人宅を拠点にまず最初の一週間ちょいを Paris で過ごし、以前暮らしていた地区や通り、お気に入りだった場所、公園やお店のほか、新しく変わったらしい場所も巡りつつ、別の友人知人たちを訪れては束の間の再会を楽しんだ。
 

毎日出かけて行きあちこちたくさん歩きながら、いろんな記憶が浮かんできたし、懐かしく感じることも多かった。ただそれだけではなく、実は空白の合間に知らずしらずの内に心の底にうっすらと溜まり、何かの拍子にふっと浮かんでくるような気持ちの存在に気づいていたというのもあり、今回はおぼろげだった記憶を整理しながら、実際に足を運んでみて、今の目で見たらどう感じるのか、しっかり確かめたいというのもあった。
 

思えば自立してから20代のほとんどを憧れと実生活、それから仕事や恋愛、いろんな人たちと交流しつつ、人生を模索しながら過ごし、ある意味がむしゃらに生きていた若い頃の自分自身に、感覚的にまた会えるのがこの Paris だった。でもだからといってそこで感傷的ノスタルジックに浸るつもりもなかった。ただ淡々と、あぁ自分はもうここには属してないし、これから属すこともおそらくないんだろうな‥と分かったし、記憶から離れずともはっきりことばにもできず何となくくすぶっていたような心の中も、この滞在中、ほんとうにものすごく歩き回ったというのも功をなしてか、まるでいっぱい運動した後みたいにすっきりと消化され、更新できたようだった。
 
 

いちばん最初に訪れた時から Paris はずっと深いまま、それは今でも変わらない。厳しく、やさしく、斬新で、だらしなくて、美しい‥。人が行き交い、出会い、集い、別れゆく‥。古く、切なく、にぎやかで、わがままで、頑固、けれど柔らかくて、多面的‥。訪れるたびにほんとうに何か底知れぬものを感じてしまうのだが、それを作り出しているのは人々、そして偶然や必然の交差とその集成‥なのだろうか? 特別、だがもうそれほどでもない‥、そんな矛盾した気持ちを抱かせる不思議な街、Paris‥。