ゆるむるぅむ ~ yurumuroom

 

ピンク!ぴんく! あっちでこっちで満開のさくら~! 一年廻って、
また新しい芽生えの季節がやってきましたね。冬に葉を落とした木々
たちも、枝先にピコピコと、薄緑の新芽が付いてるなぁ~っと見てる
と、あっと云うまに二ューリーフ誕生! まさにこれが生の循環であ
り、喜びのエネルギーそのもの。まったく自然は美しくて、偉大です。

そこで、今回は “美しさ” について少々‥。みなさんはどういうとき
に “美” を感じますか? やはりいちばん多いのは、自然、かもしれ
ませんが、肉体‥身体を使って表現される芸術やスポーツでかもしれ
ませんし、絵画や彫刻、写真や映像のようなアート作品を見てか、音
やリズム、詩を通してかもしれません。

また伝統技術や、デザイン、先端科学技術を用いて創られた製品や建
築、車や飛行機‥そしてコンピュータのような機能性の中にもあるの
かもしれませんし、人間同士や動物とのコミュニケーション、触れ合
いで生まれる感動‥のようなものでもあるかもしれません。

もちろん、これで全てだとはいいません。以前どこかで「美を定義で
きた者はいまだかつていない‥」などと読んだような覚えもあります
し‥ん〜そうだっけな?‥ってうる覚えですみません。でも何となく、
それらの中には万人に通じる共通の要素があるんじゃぁないか?とも
思います。‥なんでしょうね?

で、私が感じるのはやっぱり、生の、喜びのエネルギー! ‥愛‥?
だってそれは、自然と伝わるようなもの‥。たぶん、こうして、こう
やったら受けるだろう!とかいう自己中心的な意図‥エゴがなくて、
評価や、お返しや、もちろん支払われるマネーやなんやかんやも全く
気にすることなく、何も期待せずにただその自ずからの喜びに溢れて
いるもの‥。ただ自然と、情熱を込めて生みだされ、創られるもの?
‥なのかもしれないなぁと思います。

だから、言葉を介さなくても、伝わるんじゃないかと思うのです‥。
桜の花だって、「ちょっと見てよ、見てってよ~、ほらほら~!」‥
なんて自分からは云いません。ただ咲いて、そこにいるだけです。る
る~んと咲いて、さっ散ろっ、ヒュ~ひらひら~〜ってなもんです。
何といさぎよく、美しい‥。

ゴッホは、自分の描いた絵の中でどれがいちばん気に入っているかと
尋ねられて、「今描いている、この絵です。」と云いました。そして
また次の日、別の違う絵を描いていた時に、同じ質問をされて「だか
ら、この今描いている絵ですよ。」と答えたんだそうです。一瞬ごと
新たに絵と対峙し、精一杯の情熱を注いでいるわけです。

オノ・ヨーコは「アートは単なる壁絵のようなものでなく、メッセー
ジのようなものであってほしい。」と云っていました。彼女のいうメ
ッセージとは、誰々さんから誰々さんへ、というように個人的なもの
でなく、いわば世界全体、皆が感じるもの‥ということでしょう。実
際、彼女の作品はそれを体現しています。

ピカソも「芸術とは、出来たそれがどんな作品かよりも、どういう人
間が創ったのかが重要なのだ。」と常々云っていたそうです。それは、
単なるアーティストの性格の問題でしょうか‥? いや、もっと深い
意味でのことだと思います。つまり沸きあがる情熱は作品に対しては
もちろんですが、人生全てにおいても、同じ向き合い方になるのだと、
云っているのではないでしょうか?

そしてまた「内側にピュアな感覚を保つには、独りになることも必要
なんだ。」と語ったアーティスト、グレゴリー・コルベール。5年前、
メディアを通してですが、はじめて彼の作品を見たときは一気に心奪
われてしまい、わぁー~ー~っときて、それからぶるぶるぅ~~~っ
となりました。 

人に「美しい」といわしめるもの‥。その中でも、何かこちらのエネ
ルギーをも触発させ、震わせるもの‥。何年、何百年、また何千年経
ても廃れることのない意識のようなものが “真の美” ‥なのかもしれ
ませんね。

知識でものを見るのではなく、自分の目‥心‥感受性をつかってこの
世界の動きと流れ、美、また醜さをも読みとれるようにゆったりと、
そして注意深く、覚めながら、見守っていましょう‥。

 
*おまけ*

グレゴリー・コルベールの作品が、今、生で、東京で、見れます!
現在お台場に、 “ノマディック美術館” という、世界を巡回する移動
展示館を設けて、展覧会を行っています。行かなきゃっ。
Gregory Colbert [ Ashes and Snow ] >>(~2007/6/24)

 
それでは、またお会いしましょう。