::: 進路 :::
私たち人間は、ほとんど誰もが、富、名声、権力、信仰、快楽という
ものをひっそりと、もしくは堂々と渇望しています。それは人間社会
においてのみ重要視されるのですが、実際、社会の中では多大な影響
を及ぼすものになっています。
それらを求め、獲得することで、「私」の存在は個別に安定すること
ができ、そして満足も得られる‥。はい、確かにこれは、もうかれこ
れ何百世代にも渡って信じられ、そして継承されてきた、いわば伝統
的な<考え方>です。
しかし、この考え方そのものを注意深く見てみると、そこには「私」
と「それ以外」というふうに、私たちの存在基盤である生命を分け隔
てて捉えようとする、分割的な見方というものが、すでに内包されて
しまっていることがわかります。
そして今、世界がまさにそうであるように、私たちが最初からこのよ
うなものの見方にもとづいて行為・活動するのなら、全的なものであ
る自然との間には、必然的に摩擦が生じるのです。
自然の流れに沿わず、周りを顧みないような個別的な考えや、人為的
な思想主義からの行動には、分割されているがゆえの矛盾、葛藤、苦
脳や悲しみが、必ず相伴います。
また皮肉にも、その葛藤、苦しみが、時にある一定の原動力となり、
克服を求め、不慮に動き回ってしまうことで、さらに傷を深めてしま
うことさえあります。
しかし私たち人間はいったい何をもって、進歩や成長と呼ぶのでしょ
う? 生きるとは「私」の立場や、その行く末を案じながら、恐れ、
いつまでも尽きることのない葛藤や矛盾を抱えつつ、さらなる満足と
達成を追い求め、息絶えるまでとめどなく走り続けることなのでしょ
うか?
私たちは、私たちの思考、習慣や思い込みによってもたらされている
この<考え方>にもとづいた虚構、そしてそれがまったく深みなく広
がってしまっているのを、はっきりと見取ることができるでしょうか?
もし私たち一人ひとりが、このような生き方の虚偽性を感知し、私的
な渇望の全てから自然に解放されるなら、人間意識の流れは、大きく
舵を取り直すはずです。
♪ backyard _ spring morning / 裏庭にてフリー録音
それではまた。。:)