::: 想像力の欠如 ? :::
人間関係の中に調和と協調をもたらし、よりスムーズにするため、
またケンカや、いさかいをなくすための方法として、私たちは日
常的によくこう云います。
「相手の立場になって、よく考えてみよう。」
「自分がされて嫌なことはしてはいけない。」
「相手を思いやる心を大切に‥。」
どれもがもっともなことのように聞こえます。
そして、もしそこから逸脱したようなひどい行いがあった場合、その
人は「想像力が欠けている」とされ、非難されます。
ついては、もっと豊かな想像力を持ちましょう‥の路線をゆく昨今な
わけですが、さて、想像力の欠如、これが実際に問題を生じさせてい
る当の原因なのでしょうか‥?
云い換えてみれば、想像力があれば、人間関係におけるもろもろは、
何の軋轢なく、うまく行くのでしょうか? 必要なのは想像、イメー
ジすることなのでしょうか?
このイメージするというのは、思考を働かせることです。つまり、自
分の経験や知識を動員しながら、状況について限られた情報をもとに、
どういう展開が可能であるかを脳内でシュミレーションする、仮定す
る能力のことです。
けれども私たちはこのイメージというのが、想像した時点では単なる
虚構にすぎないこと、事実とは違うものであることがわかりますよね?
しかし、イメージにすることによって、人と人との関係における全て
がより良い方向に向かうだろう‥と思うことこそ、一つの憶測、仮説
であることを、忘れてしまってはいないでしょうか? 想像してごら
ん〜‥と唄われ、世界の平和を願った有名な曲もありますが‥。
ここであらためて問うていただきたいのは、調和のとれた関係に必要
なのは、本当に想像力なのか? それとも、ありのままの事実を直接
感じる、把握することのできる知覚、直感力こそ、私たちに欠けてい
るのでしょうか?
知覚が欠けた状態とは、鈍感だということです。思考によって祭られ
た「私」への執拗な執着、そして誤った認識をいつまでも払拭できず、
常に「私」と「他」、「自分」と「相手」という断絶があるのです。
決して全体を見通すことができず、それゆえに発せられる虚勢や、自
己主張、正当化‥、そこにはおのずと疲弊と混乱が連なります。
さて、これもまた単なる一つの仮説でしょうか? それとも、思考を
超え、事実見られることですか‥?
それではまた。。:)