ゆるむるぅむ *note

 

::: 生きながら学ぶこと :::
 

私たち人間が、生を分断して扱っていることへの警笛はすでに鳴ら
されました。あとは、私たちがそれをどう感じ取るか、です。
 
これまでと同じように古い構図に縛られたまま、「今までの私」を
手放せないまま、朽ちていくのか、
 
それとも、そんな虚構などやすやすと越えてゆく、あの強く、熱く、
新鮮なものと共に行くのか‥
 

内に芽生えた自覚、気づきの領域である意識が、またもや混沌の中
で埋もれてしまうことのないように、油断せず、精神をやわらかく、
クリアに研ぎ澄ませていましょう。
 
 

‥‥‥
 
 

今年の5月、ようやく日本にある、全ての原子力発電の停止に至っ
たというのに、その間ほんのわずか、今月1日、福井県・大飯原発
の再稼働によって、ゼロ原発はあっけなく覆されてしまいました。
 
それまでの経過、当日、そして今ももちろん、その動向を注意深く
見つめていますが、利権の絡み合う政治や、経済、産業界にこびり
ついている、誰にでもわかるほどひどい悪臭を放つ様々なものが、
そこに露になっているわけです。
 
こうなってくると、「再稼働はまさかと思ったけどね〜‥」なんて
云って、安易に認めてしまうわけにはいません。
 
特に、処理については未だまったく不透明なままである核のゴミ、
放射能性廃棄物がすでに大量にあるというのに、それをさらに生じ
させること、この問題をあいまいにごまかし続けていること自体が
とんでもない。
 
かといって、そこですぐに集団ごとに分け隔て、敵対視し、攻撃姿
勢を構えるといういうのは、やはり違うような気がします。流れが
完全に変わるには、その澱みとなるものさえ、一斉に連れ行かなけ
ればなりません。
 
エネルギー、原子力、核兵器‥。それから、人と人、自然のこと、
その全てにどんな新しい関係のしかたがあるのか。これは人として、
私たちみんな、世界中のみんなが、一人ひとり自分の胸に手を当て
ながら、とことん注視しなければならないことではないでしょうか?

 
‥‥‥
 

ずいぶん前の話になるのですが、フランスにいた20代の頃のこと。
ちょうど、ポリネシアのムルロア環礁で、近々、フランスが核実験
を行うというニュースが話題になっていた時がありました。
 
ある日、友人やその友達と雑談していた折に、何気に「何でフラン
スは核実験するの?」と聞いてみました。すると、「だって僕たち
には原爆が必要だよ」と。
 
「えっ、だって広島や長崎で何が起こったか知ってるでしょう?」 
それでもその場にいた3人共が、「いやいや、それでもこの国は、
それを抑止力として持ってなくちゃいけないんだよ」と。
 
ひるまず、「わからないなぁ、何でそこまで必要なのかなぁ?」と
さらに突っ込むと、すぐさまその内の1人が、「だって怖いじゃな
いか! いつ何時、中東やロシアが襲ってくるか‥!」と、声高に
云い切りました。そして、「防御するのは当然だ!」とも。
 
それ以上はこちらの語彙が足らず、反論できないまま、平行線で終
わってしまったのが、すごく悔やまれました。
 
けれど、普段、日本を背負ってなどいないつもりだったのに、原爆
に関しては、何だかどうしてもゆずれない気持ちが自分の中にあっ
たことに、その時はじめて気づかされました。
 
また、躊躇うことなくあからさまに放たれた「怖いんだ!」という
発言は、かなり強烈な印象としてしばらく残りました。
 

お互いの反応に示された、そのもっと奥にあるものに気づくことが
できたのは、それよりもう少し後でしたが、それでもこれは、わた
しが人の心というものについて、大いなる疑問と関心を抱くことに
なった、いわば原点のようなものかもしれません‥。
 

(( 参考 )) フランス核実験について
http://keyqa.web.fc2.com/frnckaku.html
 
 

それではまた。。:)