::: be open :::
きょうは一日中気持ちのよい風が吹いていました。
木々が、さわさわと笑いながら踊っているような風。
また数日前の雨の後のほどよい日射しとその暖かさで、
少し前に蒔いておいたハーブや野菜の種たちも
ぷつぷつ、ぴこぴこと元気に芽を出してきています。
辺りでは桜はもちろんのこと、いろんな花があちこちで
咲き始めたので、通りすがりにうっとり立ち止まることも
たびたび‥。
そしてそんな春のうららかな日々を堪能しつつ、
このところは、自分だけの個人的な経験というものが
本当に存在しうるのかどうか、静かに自問しています。
生はいつも流動的です。
たくさんの出会い、別れもありますが、
もし何かの考えに囚われたり、しがみつくことがなければ、
すべては自由の中を流れてゆきます。
この自由な流れの中にあるからこそ、
私たちは働いたり、休息したり、関係を築くわけですが、
けっしてその逆なのではありません。
自由とは、これから獲得するために躍起になる必要の
ないもののはずです。
自由が、最初にあるはずなのです。
それを自覚できれば、この流れの中で自然に淘汰され、
削ぎ落とされるものがあることにも気づくでしょう。
けれど、もし個人という考えや、個人的な経験にこだわる
のなら、「私」はいろんな経験を自慢したいし、
注目されたいし、もっと何かしなくてはいけない‥
と思うでしょう。
ですが実際、本当にシェアできることだったり、
そのためにオープンだったり、フランクであるというのは、
何でもかんでもあからさまにすることなのではなく、
むしろ、私個人の執拗なこだわりや見解から
自由であることが大切なのではないでしょうか?
なぜならそれは、共歓や協力のドアを開くことのできる
唯一のキーだからです。