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今年もあと少し。そしてもうすぐ新しい年がやってきます。今回は
11年という流れと共に、ここでこのようなケアにたずさわっている
ことへの熱く静かな思い‥をまとめてみることにします。
これから先、今までのようにほとんど何も変わらないかもしれない
し、もしかしたら根幹はそのままでも全く違う展開になっていくか
もしれません。が、それが未知だからこそ、今の気持ちについてを
この *note に書き置いておくのは、むしろ適切なことのような気が
します。
さて、ここ Ruelle で提示したいことをシンプルに云うとしたら、
それは、『源泉への回帰』 なのです。
多忙な日常の中ではどうしても忘れられがちな、深く、豊潤なエネ
ルギーをたたえる、生の源泉に触れること、それを直に実感すると
いうことは、心身にとってはまさに心地よさ、喜びへと通じます。
またそうして再び取り戻した活力は、実際、何ものにも代えがたい
美しさとしても感じられることでしょう。
しかしこの源泉、エネルギーベースからあふれる美や喜びを、もし
日々の生活の中で感受できなくなければ、脳はそれに代わるものを
補おうとしたり、またその虚しさをうまくごまかそうとして、思考
を優位活発に働かせるようになります。
ただし思考というのは、その稼働中に新鮮なエネルギーを欠いてい
る場合、既知の範囲での限定的な回路を、まるでレコードのように
繰り返しくりかえしなぞり続けることしかできません。そしてその
ような反復は、そのうちおのずと自己中心性や執着を強め、本来の
生き生きとした感受性をないがしろにしてしまうことにも繋がって
いくのです。
限定的思考、観念の産物である自我から表出される固執した意見や
主張、利己的な欲や、それによる周囲への無関心というのは、暮ら
しや社会の中で対立や軋轢、孤立を生み出し、普段の関係性におい
ての調和、また自分自身の精神や肉体での調和、そして単純に周り
に広がっている自然界との調和でさえも、遅かれ早かれ難しいもの
にしてしまうでしょう。そして、さまざまな痛みや病の多くは、こ
のようなエネルギーの欠如や、不注意さに巣食うのではないでしょ
うか?
Ruelle で掲げている<ホリスティック・ケア>というのは、心身
にとって不必要な制限を溶かし、全てを健全に再構成させるための
流動的なプロセスです。緊張やブロック、固執や矛盾を含んだ邪気
を取り除きつつ、苦痛から解放し、同時にフレッシュなエネルギー
を取り入れる、「瓦解と融合」の作用をなるべく自然に引き出すた
めのケアだと云えるでしょう。
トリートメントやトークセッションの後は、これまで無意識だった
り、染みついてしまっていた習慣、クセ、偏った思考回路によく気
づくようになり、もしすでに違和感を感じるなら、それらを強いる
ことなく止めたり、手放したくなるかもしれません。それはちょう
ど、熟れた果実がぽとり‥と自ら枝を離れるような感覚に似ていま
す。またそれに相伴って、今まで意識にのぼらなかったような事象
についての注意や関心など、充実した内面的変化の機会が訪れるこ
ともあるでしょう。
‥とはいえ、そのようなことが必ず起きます!と確約することはで
きないのですが、しかし少なくとも日常の喧噪や煩わしさ、思考の
既定ルートから離れ、少し距離を置くことで、身体組織や、頭の中
での脳の動きは一旦ニュートラルなフロー状態へと移行して、身体
機能的にも、気持ち的にも、余裕やゆとりといったスペース的余白
が生まれることでしょう。そこに、新鮮なエネルギーは宿ることが
できるのです。
さて、ではこれらのことを踏まえた上で、実際、毎日の生活の中で
どのようにその心地よさ、注意深さ、生の喜びを失うことなく過ご
せるのか‥ということですが、そのためには、ご自身の「感受性」
を決して自ら否定や拒絶することなく、いつ何時でもきちんと尊重
してあげることが、とても、とても、大切です。
迷いや困難、時には見たくないようなひどい状態と向き合わなくて
はならないことももちろんあるでしょう。それでも、それにむやみ
に抗うことなく、またいつもきれいなものに囲まれていたいと包み
隠してしまうのでもなく、どんな時でも尽きることなく新鮮なエネ
ルギーをたたえるその深淵に、ただ立ち還ることができるなら‥
つまり、生の源泉と共に生きることができ、日々の生活の中でこの
「リセット&クリア」が自然に行えるのであれば、それは必ず全的
で自律的な調和に役立つでしょうし、実際には、暮らしの中のさま
ざまな場面での態度や行為の核となります。
そうであれば、もはやどんなセラピーやセミナー、また占いの類な
ども必要ではなくなりますし、さまざまな浪費や、習慣的な依存を
安易に重ねるようなこともなくなるでしょう。その時はすでに、あ
なた自身、そしてその周囲にも、明るく透きとおった自立と受容の
空気が漂い、浸透し始めているはずです。
そう、日々のほんの些細な疑問から、全く納得いかないような難し
い局面においても、どうかその都度、面倒くさがらずに、ある意味
敬意を持って、ご自身の内奥深くにあるその源泉に触れていただき
たいのです。
そして、これは逃避などではありません。むしろ理不尽な幻想や、
誤った心身の使い方を手放し、本来の自然に近づくことなのです。
痛みや苦しみ、反目し合う怒り、憤り、嘆き、精神の不自由さ‥
そんな不透明な濁りの中に、ただいつまでも留まらずにいてほしい
のです。
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