+ Mmes Elouard +
車はノルマンディーの田舎道をまっすぐひた走っていた。後部座席の左側に座って静かに窓から眺めていたのは、ほとんどが広くのどかな田園風景で、ゆったりと草を食んでいる牛や羊、馬などがまだらにたくさんいた。もちろん彼らは野生ではなく飼われているのだが、その広大な景色の中、大地はまさしく彼らのものだった。時折目の端をビュンっとかすめるや否や後方に流れてゆくのは、敷地を区切るためもあるのだろうか、防風林のようにまっすぐ並んで立っている木立の群れや、道端に立つ大きな構えの家、そして作業小屋などだった。
明るい日差しはあるもののまだ春は来ていない頃、わたしたちは車内でもコートを着たままだった。運転するのは Madame Elouard。助手席には彼女の娘である Patricia、後部右隣には同じ語学学校に通う Yukaが座っていた。マダムは、Rouenで小さな部屋を間借りしていた家の家主で、Yukaはその家に食事付きホームステイをしていた、まだ高校を卒業してすぐというパン職人志望の女の子だった。
その日は休日で、朝からめずらしく気持ち良く晴れていた。コンコンと部屋のドアをノックされたので開けてみると、Patriciaから
「出かけない? いっしょに海に行きましょうよ」
といきなり誘われたのだった。
「海! はい、行きます!」 断る理由は何もない。ほとんど手ぶらで、マダムの赤いシトロエンに乗り込むと海に向けてのドライブが始まった。ただちょっと厄介なのは、Yukaが日本人とも絶対にフランス語しか話さない、と心に決めてしまっていることだった。最初に会った時、先に彼女がその家にいたので案内をしてくれつつも、勉強しにここまで来ているのだからそういう風にしている、と日本語で説明されたのだ。なので、それを尊重しようとは思うのだが、なんというか、ちょっとしたことをふつうにペラッと表現したい時に、フランス語ではおぼつかない。日本語をわかる人がいて、気持ちを共有したくて話しても、相手は困った様子で小声でぽろぽろっとしか返してこないという‥。
というわけで、その車内ではほとんど喋らずに静かにしていることにした。マダムと助手席の Patriciaは自分たちの会話をし、ときどき後ろを気づかって質問を投げてくれていたが、Yukaはそれにはうれしそうにフランス語で答えているので、だいたいの返事をお任せしていた。多分このドライブも元々、ステイ待遇の違う Yukaのために設けられたエクスカーションだったろうから、おとなしく、おまけでいることを楽しむことにした。
後ろに座って、景色を眺めながらぼーっとしつつも時々、マダムと Patriciaの二人が何かしらワヤワヤと言いながら道を選んだり、当時おそらく70歳近いマダムのハンドルさばきを見ていたりしていたのだが、ふと、気づいてしまった。助手席側、つまり右サイドミラーがないのである。すかさず、それがあるべきところを指差し、
R「わっ、ミラーがない!」
P「そうよ。ふふふ、日本だとみんな付いてる?」
R「も、もちろんです! えー、いいんですか、これ?」
M「いいのよ〜」
R「でも右に曲がる時‥」
M「バックミラーがあるからそれで充分。それかこうやって振り返って見ればいいしね」
R「へー、そうなんですかぁ‥」
MP「あはははは‥ びっくりしてるわね‥」
おそらく、この日車内で一番盛り上がった瞬間である。
その後も変わらぬマダムの安全運転で、連れられるがまま、最初にカルヴァドス(林檎のブランデー)の工場に立ち寄り見学をしてから併設のバーでクピっと一杯いただき、そこからまた少し車を走らせて、次に着いたのは大西洋を望む断崖絶壁の景勝地、Etretat(エトルタ)だった。海を見るといつも湧いてくる満たされたような喜びでただただうれしくなった。連れて来てもらうまで、そんな素敵な場所があることをまったく知らなかったというのも大きい。
大西洋を一望できる丘を散歩して、思う存分、素晴らしい景色と海風を楽しんだ。もっぱら天気がよかったということもあり、丘や海岸にはそれなりの人出があったが、その開放感に、周りのどの人もみんな微笑んでいて、すごくしあわせな気持ちになった。べらべらとうるさい喋り声が聞こえたら、ちょっとその一団から遠ざかれば、すぐにそこの自然と一緒になれた。
「そろそろ行くわよ〜」
にこにこと微笑む Patriciaに声をかけられて、一緒に来た道を戻って丘から遠ざかった。
さらにまたしばらく車を走らせてから、おなががすいた、おやつの時間、ということで、海岸沿いの小さな街(たぶん Dieppe だったと思うのだがどこであったかは定かではない)で車を止めて、さっきとは雰囲気の異なるややリゾートっぽい砂浜を一応観光というか、チラ見してから、すぐそばにあったお菓子やさんの店先で大きなショーケースを覗き込んでマダムと Patriciaが何やら注文しているので、それに倣って林檎のタルトを自分のために一切れ買った。きちんと包装紙にくるまれたタルトを手渡されると、彼女たちはこんどはすぐ隣にある重厚な店構えのカフェにさっさと入っていく。おっ、次はそっちですか‥と、やや遅れ気味に着いてゆき、テーブルにつくと、きちんと白シャツに黒ベストを着たウェイターがやってきて、それぞれの飲み物を注文した。
ベルベットっぽいソファーに大理石のテーブル、ウッドの窓枠‥それなりに雰囲気のある老舗っぽいカフェだった気がする。少し待って、そして飲み物がテーブルに運ばれてくる‥と同時に、いきなりマダムと Patriciaが、ガサっガサガサガサっと包みを開けて、ケーキだかパンだかを食べ始めた! そのカフェで注文したものではないのでもちろんお皿やフォークはない。記憶の中では、もうまさに食らいつく感じである。「えー!いいのぉ?」と、きょろきょろっとおっかなびっくりな面持ちでいると、
M「いいのいいの、ぜんぜん平気よ〜。ほら食べなさい」(パクパク)
R「‥」(そ、そうなの‥?)
なんだか行儀が悪いし、店に失礼な気がしつつも、同じように、いや、とても控えめに、ガ、ガサ‥、ゴ、ゴソ‥とちまちまとタルトを食べながら(食べにくい!)そ〜っとウェイターのほうを見てみると、まぁまったくもって意に介していないようだった。でも、周りの他のお客さんたちにはそんなことをしている人たちは誰一人いなかったので、そのカフェで過ごしたのはほんのわずかな時間だったにもかかわらず、食べ終わった後もすごく落ち着かなかったことはよく覚えている。さらに云えば、テーブル上に落ちた欠片や包み紙までも、「いいのよ〜」と云われるがままそこに残して店を出たわけだが、それも店側からはまったく咎められなかった。
MP「ふふ‥、びっくりしてるわね‥」
帰りの車中では、行きよりもさらにまた静かに外を眺めていた。でもあとで思えば、Elouard家にとっては何度も過ごしたことのある、いつも通りのお決まりコースだったのかもしれない。
いつだったか、その家に住みだしてかなり経った頃、一度だけ、たしか写真か何かを受け取りに Yukaの部屋に行ったことがある。そうしたら部屋に入れてくれて、でその時は遠慮せずにこちらからは日本語で最初からずっと話していたら、彼女も途中から日本語になって、わりといろんな話をしてくれた。学校帰りにあまり友達と遊んでいる感じもなくどうしてるのかと聞いたら、部屋の中ではいつも日本の家族や友達へ手紙をたくさん書いていたようだ。あと、マダムはすでに未亡人だったが、実の息子さんを若くして亡くして以来、夫とふたりで計4人の養女を迎え、育てたのだということをその時初めて知った。子供たちは皆もう成人し、その4人のうち Patricia ともうひとりがその家で暮らしていた。結婚して巣立ったほかの二人はよく週末などにそれぞれの家族を連れて、わいわいがやがやと遊びに来ていたものだった。
そんなマダムたち Elouard一家と Yukaがいる母屋と、貸し部屋のある離れの建物というのは一応は屋根続きで表玄関はひとつだったが、庭や車庫につづく勝手口があることもあってか、家の中では日常的に彼女たちと顔を合わせたり、話したりすることはほとんどなく、用事があるときはそれぞれに赴いて‥という感じでやり取りをしていた。こちらからマダムに会いにゆくのは毎月の家賃の支払いのほか、週に1度ほど洗濯物を預けるためだった。1回300円ぐらいで有料だけれど、シンクで手洗いできる小物以外はけっこう大変なのでお願いしていたのだった。
そういえば、まだわりと初めの頃、何かの際にマダムが部屋に来た時に、「元気? 調子はどう?」と聞かれて、ちょうど環境や食生活が変わったためか、少し貧血気味でだるさを感じていたので、辞書で貧血という単語を調べて、そのようだと話したら、その数時間後にドアがノックされ、「これ食べなさい」とホーローのタッパーを手渡された。心配してわざわざ調理してくれたのだろう、中にはほうれん草の牛乳で煮たかクリームで和えたようなものがたっぷりと入っていた。それがはじめてのフランスの家庭料理だったのだが、もた〜とした味で残念ながらいまいちだったので試しにしょうゆをちょろ〜り垂らしてみると、こくが出て味も引き締まり、とてもおいしい一品となった。その後も自分で同じようなものを何度か作ってみたりしているうちに、いつのまにか体調もすっかりよくなった。
あとこの Elouard家の人たちと交流できたのは、年越しで家族が集まるパーティに呼ばれて参加させてもらった時だ。小さな子供たちもいたので一緒に遊びながら、初めてその家のダイニングで大きくてどっしりとしたテーブルを囲み、皆と一緒に氷の上に盛られた生牡蠣を食べた。そしていよいよ新年になった時、遠くのセーヌ川から一斉にボー、ボッボーといくつもの船の汽笛が鳴らされるのが聴こえて、みんなで乾杯し、お祝いのビズをして‥となかなか素敵なひとときだった。翌日のテーブルの後片付けにも参加した。散らかった空き瓶やグラスやお皿などをどかした後は、Patriciaが台ふきんではなく、スポンジを使って器用にゴミを集めたりしてきれいに拭き上げていくのをへぇ〜とじっと見ていた。特にパンくずが散らかるフランス家庭のテーブルはそのスポンジ拭きが一般的らしいのだが、ただそれだけのことが、また新鮮だった。
最初に Rouenに到着した時、駅からおずおずとマダムに電話するとあっけなく「Taxiに乗って来てね」と云われて家へ向かったものだったが、Parisへ引っ越すためその家を離れる時には当たり前のように、あの赤い車で駅まで送ってくれ、ホームで電車に乗り込むまで見送ってくれた。実は、マダムに洗濯物を出すと、なぜかまさかのジーンズにまでビシっとアイロンがかけられて戻ってくるので、わぁ〜ジーンズだけはやめてほしいな‥と毎回思っていのだが、結局それは最後まで打ち明けられないまま、笑顔で別れた。だがそれも思い返してみれば、冬はほんとうに毎日どんよりとして天気が良くない地方だったため、単に早く乾かすためのものだったかもしれない。



