+ Mr. S.L +
明るい日差しの散りばんだ日々が現れるようになった春のころ、Paris に移って暮らし始めた。が、正確にいうとそこは Paris ではなく、 Paris の地図にギリギリ載ってはいるけれど、市をぐるっと取り囲んでいる環状道路から一歩はみ出ちゃった感じの、電車もメトロじゃなくて郊外線で一つめの駅ね‥という説明がぴったりな場所だった。
でも慣れてくれば、学校や遊びに出かけるのにアパートから15分も離れた駅まで、路上駐車がぞろぞろと並び、雨の日には水が溢れ流れて足元がびちゃびちゃになるきつい坂のせまい歩道を歩き、そこからまたギギィゴゴォと重苦しい音を響かせる電車に乗るよりも、すぐ近くの停留所からぴょんっとバスに乗ってブーンっと行ってしまったほうが簡単で便利なことを覚えたし、また車の少ない道を選べば郊外の静けさは歩くのにも心地よく、散歩がてら大きな公園を通り抜けてあとほんのしばらく行けば、もうそこは Paris なのだった。
もともとその物件を借りていたのは、日本語もけっこう話せる Mr. S.L だった。Paris で部屋を探すために日本書籍を扱う本屋の掲示板を見に行くと、彼のシェアメイトを募る貼り紙を見つけたので、すぐに電話して会ったら入居できることになったのだ。
アパートの部屋は4階建の最上階だった。建物の小さなエントランスを進むと吹き抜けのちょっとしたホールがあり、そこに幅が広くてゆったりとカーブする無垢の木製階段が設えてあった。エレベーターはなかったものの、その階段の単調な緩やかさ、または足底の当たりの良さのおかげか、上り下りにそれほど労を感じることもなかった。
アパート内の間取りは3つの独立部屋のほかに、小さなダイニングキッチン、トイレ、シャワールームがそれぞれ廊下伝いにあり、洗濯機以外の必要なものは全部揃っていた。洗濯はすぐ近くにコインランドリーがあったのでそこで済ますことができた。それに、共同生活のためのごくあたりまえのルール、それと掃除の当番があるだけで、今思えばシェアルームとしてはゆるくありつつも、かなりきちんとしていた。そういう場所ではあとはもう、住む人の暮らし方次第‥ということになるのだろう。
そこでのシェアルームをまさにその当時始めたばかりの Mr. S.L は5,6歳ぐらい年上だったが、日本での留学経験があり、その影響もあるのだろうか、共有スペースは無駄なものがなくシンプルで清潔だった。キッチンに置いてあった小さな丸いテーブルには、汚れを防ぐためだろうが、いつも明るい色のかわいい柄のクロスがかけられていたし、たぶん彼自身、几帳面な人だった。
最初に会った時に彼は自己紹介で、日本の外語大学に留学していたと言い、名称を聞くとそれはわたしが育った街にあった大学で、さらによく聞くと、通っていたキャンパスも住んでいたところも、わたしが利用していたものとまったく同じ路線バスでさらにもっと奥へと進んだ山間地区だったという。住んでいた時期は重ならないものの、懐かしいローカルな地名を聞きながら、わぁ偶然!と共通点を知って互いにびっくりしたものだ。
彼は留学を終えてフランスに戻った後、しばらく日本のテレビ局のためのコーディネーターなどをして働いていたらしいのだが、それを辞めてからは、経営を学ぶために昼間はビジネススクールに通っていると話した。そのほかはテニスやジム、フラメンコレッスンに熱心に通っているようで、だいたい留守がちだったし、わたしの方はといえば、平日午前中に語学学校へ行く以外は自由にできたので、朝晩、狭い共有スペースでかち合わないように互いに気遣う暗黙の了解‥的なものがすぐにできあがった。
借りた部屋は、明るくて天井も高く広々とした10畳ほどの広さで、片隅には大理石のマントルピースのついた暖炉があり、また縦に大きなフランス式のガラス窓から向かいの丘に立ち並ぶ建物や空が見えた。開けると、気持ちい良い風が入るので、だいたいいつも開け放しにしていた。時折すぐ近くの教会の鐘の音がリンゴン‥リンゴン‥と聞こえてきたり、どことなく穏やかでのんびりした空気が流れていたものだ。
そのアパートにはちょうど半年間居たのだが、このシェアメイト Mr. S.L とすごく気が合ったか‥といえば、まぁそうでもなく、互いにあまり干渉しない、わりとドライな共同生活だった。しかし単なるシェアとはいえ、そのようにあまりにドライな関係というのも何というか、かえって不自然なのでは‥と心配になったこともあり、コミュニケーションをとるため一度だけ、彼が夕飯を終えた頃を見計らって、部屋のドアをノックし、「もしよければ、宿題のフランス語作文を見てほしいんだけど‥」と頼んでみたことがある。
「ん、今? いいよ、入って」と一応は快く招かれた。その時初めて見た彼の部屋は、わたしのとほぼ同じサイズではあったが、物はほとんどなかった。そうか、彼も一応は学生なわけだし、それも不思議はない。ちがうのは、普通サイズのテレビがあって、あとは置かれていた家具がモノトーンだったことだ。そして間接照明が一般的なフランス、記憶の中ではもうただの暗く黒い部屋で、細部はほとんど思い出せない。
彼はデスクランプが灯り、ECONOMIE などと書かれた教科書らしき本が数冊重ねられた机で、わたしのノートを見ながら
「んー、ここの表現にこの単語はふつう使わないよー」などと淡々と教えてくれたあと、
「でもまぁまぁじゃない? また何かあったら聞いていいから」とも言ってくれたので、
「ありがとう!」と添削が終わってすぐ部屋を出たが、やはり特に友情が深まる感じはさほどしなかったので、
「こんどは部屋にわざわざ行かないほうがいいな‥会ったら聞けばいい‥」ぐらいに思ったのだった。だからその後は、こちらから用件があればキッチンや玄関に彼がいる時をつかまえて話しかけるようにした。
そういえば何かのついでに彼自身のエピソードとして聞いたのは、彼は日本にいる時によく友達から「さすが〜」「さすがだね〜!」と云われたそうなのだが、本人はその意味がちっともわからず、とても反応に困ったらしい。そして「ニュアンスとしてはなんとなくわかるけど、それでもまだよくわからない」とも。「ま、ほめ言葉だね」と云っておいたが、なるほど、<流石>という言葉はそれを説明しろと云われてもかなり難しい。だが、まぁ周りにそう云わせることのできる人なんだろうな‥ということは察しがついた。
夏になるとすぐ、Mr. S.L は、「留守番よろしくー」と云い残し、バカンスで2週間ほどフラメンコの本場、南スペインへ行ってしまった。おかげでその間はアパートを独り占めすることができ、誰に気がねすることもなく悠々気ままに過ごせてよかったのだが、それだけでなく、その後も彼はちょっとした連休などを使って、ちょくちょくスペインまで出かけて行くようになった。どうやらある女性に夢中のようで、「もっとスペイン語も勉強しなくちゃな。でも君のフランス語ほどじゃないし、まだまだだ。いつも今何て云ったの?って聞き返さなきゃいけないし‥」と話してくれた。
その頃になると、ある意味もうよそよそしさは消えていて、普段は顔をあまり合わせないけど、ちょっとした信頼と、きちんと互いの生活を尊重しているという感じがあり、わたしたちの共有スペースも、いつも変わらないクリーンさが保たれていたのだが、月交代ですることになっていた廊下の掃除&ワックスがけを一度こっそりさぼってみたら、やはりあっさりと見破られ、後で軽く叱られてしまった。
そんなある日の夕暮れ、キッチンで会うといきなり「ねぇ、ポワロー(長ネギ)っておいしいよね。今はまってるんだ」と話しかけられた。気に入って、毎日のようにスープにして食べているのだと。わたしは逆に「一人暮らしでネギはあんまり買わないよね‥」なんてことをフランスに行く前からよく云っていたほうなので、「へぇ〜、ネギ‥」と驚いてみたり、あとは、「人参ジュースのんだことある? BIO(有機)の。元気出るし、おいしいよ」とグラスにすこし分けてくれたこともある。ちなみにわたしにとっては「ちょっと高いけど、体にもいいんだよね」とさらっと話してくれたこの Mr. S.L が、BIO食品の存在を教えてくれた最初の人であると記憶されている。
その頃の冷蔵庫の下半分を占める彼のスペースには、いつも瓶の人参ジュースとネギやジャガイモなどの野菜、ヨーグルトがよく並んでいたが、しばらくするとそのうちネギは消え、お手軽な紙パックのポワロースープの箱を見かけるようになった。それ以外で彼が何を食べていたのかは調理や食事の時間をずらしていたので全く知らないのだが、食生活や健康にも気をつけてはいそうだったし、長身で、スタイル良く、金髪で、ややストイック‥、そう、まさにキリっパキっとした動きのテニスやフラメンコが似合いそうな人だった。
さて、その冷蔵庫を「こんどから3人で使うことになったから棚割りは‥」と説明されたのは、もう夏も終わろうとしている頃だった。アパートの北側にあった3つめの小さな部屋は日当たりも悪いらしく、ずっと彼のエクササイズマシーンなどが置かれたトレーニングルーム兼物置のような部屋だったが、おそらく家賃収入によって少しでも懐を暖めることを思いついたのだろう、もう一人の日本人女性に貸し出されるようになった。
ただ、彼女の気質のせいか、この部屋のせいなのかよくわからないが、最初に挨拶を兼ねて話はしたものの、ふだん彼女はほとんど部屋から出てこずにほとんど引きこもっていたような印象で、 Mr. S.L 以上に顔を合わすことがなく、どういう人なのか謎のままだった。夜中になると、がさ‥ごそ‥と共有スペースから遠慮がちに音が聞こえてきたりするので、 Mr. S.L と「彼女、大丈夫かな? せっかくフランンスにいるのにね‥」などと話したこともある。
そして秋も深まろうとしているころ、そのアパートを去ることにした。予定の退去日を告げた数日後、部屋に帰るとドアに、保証金の払い戻しと鍵の返却について淡々と説明されているフランス語での手書きメモが挟まれていた。それはいつもの Mr. S.L らしい文体で、ピリオドが全て日本語の句点で記されたものだった。
そのやり方を最初に見たのは、実はあの作文を教えてもらいに初めて部屋に行った時なのだが、彼は、ふつう「.」と収めるところ、全て「。」でサラサラと文を書いたのだ。もちろん、日本語をたしなみ、その書式に馴染みのある彼だけがピリオドとしてそれを使うということではないのだろうが、その時は「あっ、それ、あり?」と‥。かわいらしいし、実際それだけで文章が見やすくなった気がしてすごく新鮮に感じたものだった。ちかごろはもう手書きでフランス語文を書くことなどめったになくなったけれど、以来それを真似るようになってから、今ではすっかり当たり前になっている。
退去の前日、キッチンでその簡単な手続きを終えてしまうと、「オートロックだから、後は忘れ物のないように出ればいいだけ」とのことだった。そして、最後の日も彼はいつものように朝早く出かけてしまい、そのままもう会うことはなかった。

