ゆるむるぅむ *monde

 

+ un Boulanger, un Architecte et un Acteur asiatiques +

 

Paris に移ってすぐ、Rouen でクラスメイトだった Masa に電話をした。「Paris に来たら絶対連絡しろよ」と云われていたのだ。その数日後、サンラザール駅で待ち合わせてから、お喋りするために近くのカフェに入った。彼は広島から来ていた人で、パン職人として独立し、地元でお店を立ち上げる準備を始めていたが、けれどもう来るチャンスはないだろうからその前にと、修行を目的にフランスにやって来ていた。しかし資金も時間も限られているということで、学生としての滞在許可証を手にするや否や、すぐさま計画通りに語学学校を辞めて、さっさと Paris へと出ていったのだ。
 

だから近況報告はもちろんそれから後の話だった。彼曰く、闇で雇ってもらえないかと何件ものパン屋を当たってみたが結局うまくいかなかった。そこで、完全に無償ではあるけれど、働くことを認めてくれた修行先が見つかってからは決心して、毎日朝早くから一生懸命やっているよ、いろいろな面できついけれど、やりたいことがあってここまで来ているんだからね‥とのことだった。
 

間もなくするとそこへ、同じくかつてのクラスメイトだった Donjin がニコニコしてやって来た。わ〜久しぶりだね〜!と驚いて挨拶を交わした。どうやらサプライズを考えついた Masa が途中席を立った際に電話をかけて呼び出したらしい。毎日仕事で休みがほとんどない中、いよいよ日本へ帰る日も近づいてきた彼としては、Paris で皆で会えるのがとてもうれしそうな様子だった。
 

Masa は当時30ちょいぐらいで、描いた夢には一直線の真面目な人ではあったが、一度 Rouen にいる時に「あした、授業さぼって Donjin の家で集まるから、おまえも来いよ」と誘ってきたことがあった。 「え〜さぼるの? やだな〜」と返すと、「なんだよー、1日ぐらいさぼれねーのかよー」とケチをつけ、まるで不良の子供みたいだなぁと思ったが、まぁ別に1日ぐらいいいか‥と翌朝、いつもの時間に部屋を出てバスに乗り、教えられたアドレスのアパートに行った。
 

が、実際行ってみると、なんだかいつもとは雰囲気の違う、とてもリラックスした Masa や Donjin たちと穏やかな時間を過ごせた。特に何をするわけでもなく、日がな一日のんびりと、masa が作ってくれたパスタを食べたり、飲んだりしながら、語り合っただけなのだが‥。もしかしたらすでに職人として長く過ごしてきた彼にとっては、ただの語学学校とはいえ、おとなしくじーっと座って授業を受けること自体に、結構なストレスを感じていて、素に戻りたかったのかもしれない。
 

Donjin は、韓国から来ていた若手の建築家だった。少し年上、おそらく30手前ぐらいだったろう。が、見た目はもっと若く見えた。そして彼の印象といえば、黒縁のメガネの奥で小さな瞳をぱちくりさせてキョトンとしているか、ニコニコと微笑んでいるか、または何か質問されてブンブンと真顔で首を横に振っているか、うまく答えられなくて照れてはにかんでいるか‥という、ちょっと少年のような、平和で、ソフトな人だった。
 

Rouen で訪ねた彼のアパートは、ノルマンディー建築らしい木組みの建物で、部屋の天井にはしっかりした梁があって、広々としていて、とても素敵な空間だったので、「やっぱり建築家としては、住むところは自分で探して見つけたの?」と聞くと、「ううん、ちがうよ、学校に紹介してもらったのがここだったんだよ。でもまぁたまたまだとしても、たしかにいい部屋だから、ラッキーだね」と話してくれた。
 

しかし会って最初の頃は、クラスの中での自己紹介で彼に「僕は、建築家です」と云われても正直なところいまいちピンとはきていなかったのだが、ある日の授業中に先生が、皆おそらく内心思っていただろう素朴な疑問を彼に直球で聞いてしまった。
 
「 Donjin、君は建築家ということだけど、君が設計したもので、実際に建造された建物はあるの? 家とか?」
 
プロフェッショナルに対して、な、なんという愚問を‥! しかし彼は、そんな失礼な質問にもかかわらず、「ウイ、あります。ビルとか」と、大きくうなずきながらさらっと即答した。格好よかった。周りの皆は「おおお〜」と感嘆の声をもらしていたが、彼の方は「いったいなんでそんなことを聞くんだろう?」と不思議そうな顔をしていた。
 

その再会のカフェで、Donjin は「 Paris では学校行ってないよ。ぶらぶらして過ごしてる。ヨーロッパの建築はやっぱり違うからね、歩いていろんな建物を見て回ってるんだ」と話し、しばらく3人で喋っているうちに、「これから一緒に La Défense を見に行ってみようよ、まだ行ったことないでしょ?」ということになった。次に Donjin は、これまた一瞬の短い期間ではあったが同じクラスメイトだったことのある韓国人俳優の Inki を呼び出すことに成功し、4人でメトロの1番線に乗って La Défense まで観光に繰り出した。
 

メトロから出ると、そこはさっきまでいた市内とはまったくちがう近代的なビルが立ち並んでいた。「ほぉ、ここがデファンスかぁ〜」という感じで、皆でその新しいビジネス街のど真ん中に鎮座する、四角くて白くて大きな建築物(新凱旋門)を見上げながら、夕暮れが近づくまでのわずかな時間ではあったが、広大な広場の向こうからビュービューと風が吹いてくるのを受けて楽しんだ。
 
 
次に Donjin と Inki に会ったのはその数日後だった。11区にある隠れ家的な‥、つまり、まだわりと新しかったので日本やアジア向けの広報が全くされていなかったらしい語学学校を紹介してもらったのだった。 Inki は、Rouen で会った時もそうだったが、その頃もまだほとんどフランス語が話せなかったので、Donjin を介して話をよく聞くと、もともとその学校は Inki が職業柄、誰かのツテで見つけてきたのだが、申し込みに行くのに、言葉がわからないので Donjin に一緒に来てほしいと頼んだのだった。
 

「なんと、韓国人も日本人も、アジア人は全くいないらしいよ。見学に行くからよかったら一緒においでよ」「え、いいの?」「もちろん、おいでおいで」 なるほど、俳優をやっている Inki としては、あまり目立たずに学校に通いたい‥ということらしかった。
 

最初に会った Rouen でのクラスに、Inki が初めて奥さんと一緒に現れた日の光景は、なぜだかよく覚えている。そのクラスでは、Uの字にテーブルを並べて授業をしていたのだが、朝クラスに行くとそのちょうど中央奥に二人がちょこんと座った。自己紹介から早速、二人ともほとんど話せないためかなり戸惑っている様子だったが、英語も交えてなんとか聞き取ったのは、彼が俳優で、キャリアのためにフランスに来た、仕事するにはフランス語も必要で‥ということだった。
 

そして次に当然、先生の質問は Donjin に向けられた。「彼を知っている?」「ウイ、知っています」「有名なの?」「ウイウイ!」この時、Donjin の顔は笑っていたが、何気に緊張も伝わってきたものだ。しかし、Inki と奥さんはそれからの一週間は続けて学校に来ていたが、その後は気まぐれかと思うほどの数回の出席のみで、そのうち全く来なくなった。理由はわからなかったが、まだ日本に韓流ブームも来ていなかった頃だし、いつの間にか消えている人は彼らに限らず他にもいたので、あえて気にとめてもいなかった。
 

だからあの授業をさぼった日も軽いノリで、Donjin に「ねえ、Inki が最初に来た時、どう思った?」と聞いてみると、「そりゃあやっぱり、わっ!わわわ!ってなったよ! 韓国にいた時にドラマで見てた人が、ここにいるー!って」と、ちょっと興奮まで再現した感じで教えてくれて、面白かった。でも、まさかその後も彼らが連絡を取り合っているなんてことは、露にも思っていなかった。
 

Inki は確かにキリッとした風貌で、綺麗な顔立ちの人だったが、Donjin なくてはわたしたちは会話が成立しなかった。Donjin は友人として、彼のサポートをいとうことなくむしろ自然にこなそうとしていた。で、いざ3人で一緒にその11区の学校へ行ってみると、わたしたちを出迎えてくれた事務の女性も、後から会った学長もとてもフレンドリーでちょっとこちらがびっくりするほどだった。講座についての説明を受けて、授業料もすこぶる良心的だとわかり、「僕は通わないよ、案内だけ〜」という Donjin を残して別室でクラス分けのテストを Inki と二人で受けてから、簡単な入学手続きをした。
 

しばらくしたある日のこと、授業が終わって帰ろうとしたその時、目の前に Inki がいた。何となく言いたいことがわかってついて行くとすぐに Donjin も現れた。Inki はわたしたちを自宅でのランチに誘ってくれたのだ。彼は先に家に電話をかけておき、それから3人で彼のアパートに着くと、小柄でかわいい奥さんがすでにキッチンで、手際よく皆の分の昼食を料理し始めていてくれていた。「何か手伝いましょうか」と云ってみるも「いいんです、いいんです」とジェスチャー。彼女とも全く言葉は通じないが、とてもかいがいしく動いているのがよくわかるので、出しゃばらずにお任せすることにした。
 

あっという間にテーブルの上には温かく湯気の立つ家庭的な韓国料理らしき品々が並べられ、食事が始まったのだが、「あれ? 奥さんも一緒に食べないの?」 Inki 「いいの、いいの」 「どうして?」 「いいんです、いいんです」と彼女も遠慮するようにまだ何かしているような素振りで座らない。よくわからないな‥、そういうものなのかな‥と、半ば気になりながらも料理をいただこうと手を伸ばした瞬間、「あっ」と Inki。すかさず Donjin が、「んーと、食器は持ちあげないの、韓国では」「えっ!そうなの?」「そう」と、そして揃って姿勢よく、目の前の料理を金属でできた長い韓国箸の先でつまむとスマートに口に運んで見せた。
 

同じような箸の国で、そんな作法の違いがあることはまったく知らなかった。それを知れたこと自体は新鮮だったが、しかしもう食事の間中はずっと、落とさないように‥こぼさないように‥と食べ物を口に運ぶことのほうに集中してしまい、せっかくの美味しい食事なのになんだか妙に緊張してしまった。
 

お茶をしながらのおしゃべりタイムになってやっと奥さんも加わって座った。彼らが話す語尾の伸びる韓国語が耳に心地よい中、窓辺に座り手にしていたのは、赤い大きなドット柄のティーカップで、それを眺めながら、あぁここは Paris なんだよなぁ‥おもしろいなぁ‥となんとも云えない気持ちで、ようやくほんのりとくつろぐことができた。Donjin 経由によると、Inki は Paris ではエージェントに所属しており、オーディションにはもういくつか行っていて、どうやら決まりそうなものもあるとのことだった。
 
 
その後は学校に来ていたのか、それとも仕事で来ていなかったのかはわからないが、Inki に再び会うことは一度もなかった。そうしてやがてバカンスになり、 Masa も Donjin もその夏、それぞれの場所へと帰っていったのだった。