+ Anne-Mie +
カサブランカ空港に到着すると、夜はもう始まっていた。
飛行機を降り、預けていたバックパックを引き取り、おそらく同じ飛行機から降りたであろう他の数名の人たちと並行しながら、静かにそろそろと進んで行くと、こじんまりとしたロビーに出た。大きなガラス窓の向こうにはぽつぽつと外灯があるものの、ただ青っ暗い空が見えた。まったく初めてのモロッコ。その未知の世界へ足を踏み出す前に、まずは現地通貨が必要だ。すぐ近くに見つけたキャッシュ・ディスペンサーで、幾らかのディラハム(DH)紙幣を引き出した。
見慣れない大きさと色柄をしたそれらの紙幣を慎重にポーチにきちんとしまい込んでから、一息ついたところで、よし、次は TAXI 乗り場へ‥とちょっと引き返すかたちで歩いて行き、いよいよ外に出ようとしたその時、後ろから肩をちょんちょん‥とされたので振り返ると、ベリーショートで小柄な白人の女の子が微笑んで立っていた。年もちょうど同じくらいだろう。パリ経由だったので、彼女も同じ便だったかもしれない。到着後から空港内で見かけていたし、背中には同じように大きなバックパック‥。
「ひとりなの? TAXI に乗るなら、よければシェアしない?」
「え? う、うん、いいけど‥」
「ホテルは? どこまで行く予定?」
そこから話してみると、互いにまだホテルは決めていなかったし、翌日には違う場所へ移動するつもりでいたから、長距離バスのターミナルの近くまで行きたいと云うと、「それは私にもちょうど良いわ。じゃぁシェアOK ?」と彼女。わずか3分ほどの立ち話で話はまとまり、二人で TAXI に乗り込んだ。夜だし、こちらとしてもそのほうが心強かった。
車中で、暗い夜のカサブランカを横目にさらに話していくと、ベルギーのアントワープから来たと話す Anne-Mie にとって、モロッコは初めてではなく、今回はモロッコ人のボーイフレンドに会いに来たのだそうだ。地名を云われてもよくわからなかったが、彼はカサブランカからバスで少し北の方に行ったところに住んでいるらしかった。で、こちらもバスを使ってやや南西に位置する海沿いの町、エッサウィラまで行ってみるつもりなのだと話した。
するとそのうち、
A「ねぇ、ホテルの部屋もシェアしようよ。安上がりだし」
R「そうだね、いいね」
意気投合とはこういうことをいうのかもしれない。最初に空港で Anne-Mie に声をかけられた時は、突然の提案にちょっとびっくりもしたが、すぐになんとなく共有できる同じような空気を感じたし、実際、同じような格好をしていた。彼女はけっして強引でもおしゃべりでもなく、どちらかというと控えめだった。けれど、ある意味一人旅に必要なフランクさ、それと率直な話し方がとても好感を持てたし、何より、こちらの言葉をちゃんと待ってくれるやさしさがあった。アントワープでは劇団をやっていて、バカンスにはなるべく旅に出て、ヨーロッパやアフリカを周っているらしかった。
バスターミナルの前に着いたので TAXI から降りると、Anne-Mie はすぐに、あ、こっちこっち‥と手招きして、その日は行かないと思っていたバスターミナルの敷地へとことこと進んでいった。時間は何時頃だったろう? すでに結構遅い時間だったはずだ。彼女について行くと、もう閉まっていて人気のない事務所の中に浮かんでいるモニター掲示板をガラス越しに眺めたり、外に立てられていた目的地別の時刻表を見て、午前中に出発予定のバスを探していた。
A「うーん、私のはこれでいいんだけど 、エッサウィラは‥ないから、明日聞いてみよう」
R「そうだね」
で、次は宿探し。もし一人のままだったら、適当にガイドブックから選んでおいたホテルを外観の雰囲気も見ながら探すつもりだったが、彼女も同じプランを思い描いていたようで、バスターミナルを後にしてから、すぐそばの路地に入ったところにあったホテルを前に、すかさず、
A「ここは?」
ふたりで中へと進み、レセプションのカウンターで料金を聞いてから、とりあえず部屋を見せてもらうと、どちらかというとレトロでウッディな内装、まぁ、さほど広くはない部屋にどかんとダブルベッドが一台。洗面台が隅にちょこんとあるだけで、トイレは廊下、東京からの長旅なのにシャワーがついていないというのが、う〜む‥と思ったが、
R「シャワー浴びれないね‥」
A「ん〜、大丈夫だよ1日ぐらい‥、ダメ?」
冬だし、夜も遅かったし、ホテル探しでさらに時間をかけるのもしんどいので、ま、いいか‥とそこは割り切ることにした。
R「朝にはすぐ出発だしね‥」
ただ二人でごろんと同じベッドに横になり、そのうちすぐに短く、深い眠りについた。
朝、横で彼女が起きだした気配がして目が覚めた。順番に洗面所で顔を洗い、軽く体も拭いて、着替えやトイレを済ませてから、たしか、ホテルの食堂でパンとコーヒーだけの朝食を食べた‥ような気がする。それから部屋に戻ってちょっとおしゃべりして写真も撮ったりしてから、じゃぁそろそろ行こうか、とチェックアウトしてバスターミナルへと向かう道すがら、彼女を真似て同じミネラルウォーターをボトルで買った。
ターミナルではとりあえず、自分のバスの切符を買うために窓口に行って聞くと、エッサウィラまでの直行便は出発までにかなり時間があるから、待たないのならマラケシュで乗り換えれば行ける‥と云われて、そうすることにした。
Anne-Mie のバスの方が、20分ほど早い出発だった。お互いにさらりと「良い旅を。またどこかで会うかもね、バイバイ」とことばを交わして、彼女が去って行くのを見送ると、すぐにもう待機していた自分のバスへと乗り込んだ。
ところで彼女からは、ホテルの部屋でだったか、バスを待ちながらだったか、
「実は、日本にちょっと親近感を覚えるのは、今も友達の元彼(ベルギー人)が日本人女性と結婚して TOKYO に住んでいるからなの。ぜひ会ってみて、きっと楽しいよ!」
と、彼女の住所と一緒に、彼の連絡先も書かれたメモを渡されていた。
そういう旅を通じたつながりっていうのも、悪くないかもな‥と思い、旅から戻ってしばらくした後にその彼に連絡を取ると、互いに都合のよい仕事帰りの夜に会うことになり、指定されたおしゃれカフェへと出向いたのだが、実際会ってみると、やんわりとだがスノッブな感じの人で、彼を囲んでいた友人知人たちも、なぜか、どこそことなく気取っていて、残念ながら Anne-Mie に会った時のような居心地の良さは全くなかった。
というわけで会話も盛り上がらないまま、とりあえずはしばらく座っていたが、やがて彼がでかい携帯を取り出し、衛星電話で彼女と話してみようと云いだし、電話をかけたのだ。すると本当に彼女が出て、「わぁすごいね、元気にしてる!?」と少しは話せたのだが、ザーザー音もけっこうひどく、あまり会話にならなかった。もちろん本人を横にして、「ねぇ、Anne-Mie はどうしてこの人が好きなの‥?」とも聞けなかった。
その後も Anne-Mie とは数回、不定期に絵葉書を送り合った。モロッコで出会った彼氏が(最初会った時のモロッコ人の彼かどうかは不明だが‥)ロンドンに住んでいるのだけど、アントワープでの生活や劇団も大切だし、全て手放してまで行っていいのかわからないから悩んでいる‥とかいうようなことが書かれていたけれど、しばらく間が空いてから、いちばん最後に届いたカードには、コウノトリがベビーを運ぶイラストが描かれ、そして、住所はロンドンになっていた。
「ホント、人生ってどうなるかわからないものよね」なんて添えられて‥。
