+ Essaouira 3 +
メディナの中の複雑な通路を抜けて、偶然たどり着いた市場のアーケードの奥に、わずかひと坪ほどの小さなちいさなスパイス屋さんがあった。
そのこじんまりとした店先には、種類ごとに山型に整えられた色とりどりの色粉が並べられており、そして狭い店内の壁には、高さはそれほどなくとも、天井までびっしりとガラス瓶に入った様々なハーブのほか、手描き模様のカラフルな陶器の皿や碗の数々が、注意深く重ねられたり吊られたりして、ていねいに飾られていた。コンパクトながらもギュギュッといろいろ詰まっている空間そのものが、まるでひとつのアートピースのようだった。
絵葉書なんかも一応は扱っていたようだが、特に観光客向けという感じもなく、什器なんかのちょっと古ぼけた感じ、兼、地味な味わい深さ‥。どちらかというと、立地的にも地元の人たちが普段使いで通うようなスパイス屋さん、という雰囲気。店内にいた店主は、ナチュラルドレッドのようなカーリーショートヘアで、長いまつ毛がばっちりした、一見サーファーっぽい男の人で、年齢は同じぐらいだろうか、最初から明るい笑顔で迎えてくれた。
「彼らはハーブやスパイスの知識を持っていて、ちょっとしたメディシンマンみたいな存在なのよ‥」と教えてくれたのは、午前中に、別のスパイスショップで出会ったあのジャーナリストの女性だったが、その時の店はもう少し広くて、ショップというよりも、わりとサロンぽい雰囲気だった。勧められるまま座っておしゃべりしたりくつろいでいると、大きなウィンドウ越しに広場や通りを行き交う人たちが見えたりもして、のんびりできたが、品数や在庫量はというと、もっと少なくてまばらだった。
だから「メディシンマン‥? へえー そうなんだー」ぐらいの軽い印象だったのが、こちらのギュギュギュっとしてビビッドな店に入ったとたん、なんだか急にそれらの品々が生き生きと輝いて見えて、好奇心もそそられるのだった。
が、最初に通りかかった時はもう夜の始まろうとしている頃‥。市場の他の店はもうどこもすでに閉まっていたり片付け始めていたから、「数日滞在するから、また来るね」と云って、その夜はざっと眺め見て終わりにした。
次にその店にいったのは二日後、宿の屋上テラスで知り合ったドイツ人の男性に、すごく感じが良くてウルトラ小さいスパイスショップを見つけたと話すと、じゃあと一緒に行っていい?‥と言われて二人で出掛けた。すでにそこでおみやげとして器やハーブを買おうと決めていたから、案内ついでにちょうど良いタイミングだと思った。到着すると、すぐにまた笑顔で出迎えてくれた店主くんは
「まぁまぁどうぞそこに座って‥」
よく見ると、狭い空間とはいえども、絨毯生地の張られたちょっとした腰掛けが床に置かれている。ドイツ人くんと二人でちょこん、ちょこんと膝を抱えた格好で並んで座ると、店主くんも対面式に同じようにちょこん、と座る。それから、そこらへんをうろちょろしていた6.7歳くらいの小さな男の子を呼びとめ、何やらアラビア語で話しかけていた。するとほどなく、トレーに載せられた生のミント、グラスとポットのセットが運ばれてきた。
店主くんが、茶葉と生ミント、それから「これは特別ね‥」みたいなことを云いながら(&ウィンク)棚の瓶から取り出したいくつかのハーブを入れて、しばらくおしゃべりしながら待つ。それから、砂糖をぽこぽこっと加えて、ポットを高く挙げると、ジョボジョボ〜とそれぞれのグラスに注いでから、そっと手渡してくれた。
もちろん、すでにモロッコ滞在も数日たっているので、ミントティーのそのようなおもてなしが初めてではなかったが、この追加されたハーブが、より一層味わい深いものにしているのは明らかだった。だからこの距離感と親近感もあって、いろいろと質問してみると、店主くんはにこやかにきちんとその全てに答えてくれた。
その間、実際その狭い床での座り心地など、まったく問題にならないほど、わたしたちはリラックスして楽しんでいた。それから、いくつかの説明を受け、調合してから小分けしてもらったハーブと、どれも魅力的で悩み抜いた上に選んだ器を買ってから、「ありがとう」と店を出ようとした時、店主くんがちょんちょん、指で肩をたたいてきて、「君は、またあとで来るでしょ?」とウィンク。ドイツ人くんはというと、少し先でうーーんっと思いっきり手足を伸ばして、ストレッチしていた。
「うん、OK」と返事し、ほんわかとした気分でまた街を散歩したり、いつものテラスでのんびり過ごし、夕方近くなってから、また店主くんの店に出掛けてみた。昼間より少し活気づいてきた小道から小道へと抜けて。ラマダンの時期は、日が暮れてから街の人々が動き出す。
「あ、来たね〜」とこちらの姿を見ると店主くんはまた席を勧めてくれた。さっきと違うのは、間口にあった小さな白黒のマイクロテレビが点けられていて、その音声が聴こえていたことだ。店はお客さんが何か買いにきたら相手するけど‥の半営業モードみたいな感じだった。それからまた昼間と同じ男の子を呼んで、何かを話しかけていたので、またミントティーかな? と思っていたら、今度運ばれてきたのは、二つの器に入れられたスープだった。すぐ近くに家族がいるのだという。
「ハリラだよ。食べたことある? ラマダンの時はこれを食べるんだよ」
と教えてくれる。遠慮なく、添えられていたスプーンですくって食べてみると、すごくおいしい。トマトベースで、玉ねぎや、他にもいろいろ野菜とそれからひよこ豆の入った、オレンジ色をしたスープだった。それをそのマイクロテレビで流れるドラマみたいなのをながめながら、二人で食べた。
「今この時間、モロッコ中でみんながこのドラマ観てるよ」
アラビア語で内容は全くわからなかったが、どうやら超人気ドラマらしい。そしてスープを食べ終えると、またミントティーが出され、くつろぎながら、友達のようにおしゃべりを続ける。
「あの男の子は弟なの?」と聞くと、「違うけど、親戚の子だよ」と云う。彼もそうやって、小さい頃からお手伝いをして、仕事を覚えていったそう。「モロッコではみんなそうだよ。日本は違うの?」
それから当時携わっていた仕事について、アートギャラリーで働いている、と云うと、それまでに会った他のモロッコ人たちは皆口々に、「‥それは一体何なの?」と返ってきて、宗教や風土、環境的に、美術というのが文化として浸透していないのかも‥、装飾や技巧は、まだ建築や実用する物づくりの面でだけなのかな‥伝わってないっぽいし‥と、ぼんやり思って数日間過ごした後だったところに、いきなり、「うん、絵とか写真でしょ、わかるよ」と店主くんから返ってきたので、びっくりしたのを覚えている。
さらに彼は、「僕はタバコも何も変なものやらないよ」というので、なぜかと聞いたら、「エアロビクスしてるから」‥だそう。とても失礼なのだが、モロッコでエアロビクスが普及しているとは思っていなかったのと、海の近くだし勝手にサーファーなんだろうぐらいに思っていたから、その意外な答えに微笑んでしまった。
でも、本当に、彼はとても生き生きとしていて明るく、屈託のなさが話し方にもたたずまいにも現れていて、とりわけ商売人にありがちな図々しさも強引さもなく、きちんと話をきいてくれるし、ほどよい落ち着きと静けさも持ち合わせた、好青年だった。
せっかくなので、知りたかった音楽についても聞いてみると、エッサウィラでは、Festival Gnaoua という音楽イベントが毎年夏に開催されているそうで、Gnawa 音楽に魅了された人たちが世界中からやってくるらしく、街中とても盛り上がるのだという。雑誌で写真を見せてもらうと、さほど混雑してる感じもないが、皆なんだかのびのびと楽しんでいる様子だった。
ただし、店主くんも云っていたが、やはりラマダン時期、街が静かなのは仕方ないとのこと。カフェなどでライブを知らせるフライヤーを見つけてもまだ先の日程だったり‥。結局、モロッコに来て生の音楽に触れたのは、メディナの道端でベルベル人のおじさんが、カシャシャ‥カシャシャ‥と、カラクムという鉄でできたカスタネットのような楽器を鳴らしていたのに偶然会ったのが唯一だった。ただ、あのモロッコへの旅のきっかけにもなったバンドも、このカラクムをたくさん鳴らしていたので、その音だけで十分うれしかった。
それにしても‥、たしかに聞いたはずなのに、今はもう店主くんの名前を思い出せない‥と思って、旅路を記した古いメモの中を探していたら、ようやく見つけた。日付の横に小さく、Brahim、そしてその下に Soupe とある。そうだ、あの日はエッサウィラ最後の夜だった。ここまでガタガタの民営バスで来てね‥と彼に話すと、「それならスゥープラトゥールに乗りなよ。早朝出発だけど、マラケシュ直行で、CTMみたいにすごーく快適なやつ‥」と教えてくれのだった。
実のところ、本当に出発が6時台とかで早く、なんとか起きて、慌ててダッシュでメディナから離れたターミナルへと向かってみたものの、数分の差で間に合わず、立ち去るバスの姿を遠目に見送った後、やはり民営バスで再びえっちらおっちらと帰ることになってしまった‥という結末はさておき、その夜、店主くんとの談笑のおしまいに、「そんなに早い時間に出発となると、荷造りもあるしもう帰らなくちゃ‥」と立ち上がると、彼はおしゃべりしているあいだ中、ずっとさらりさらりとボールペンを走らせて描いていた一枚の紙を最後に渡してくれたのだった。「はい、これを僕たちの出会いの記念に‥」

