+ gardiens de vieux petit palais +
いつものように、ガイドブックおすすめの小さな安ホテルに部屋をとって、翌朝、のんびりと散歩に出かける。まずはもちろん、見たかった地中海へと向かう。この Al Hoceima の小さな町の中心は、断崖に囲まれた小さな浜、いくつかの豪奢なホテルがあるほかは、特にこれといった見所もないのだが、一応は、リゾート地特有の気配があった。でもやはり冬のオフシーズンだからか、道ゆく人もまばらで、なんとなくその地味さがちょうどよく感じられた。
地図を見ながら、町外れの人気のない魚市場(その時間にはもう閉まっていたか、休日だった)と港の前を素通りし、沿岸の道をずっと歩いてゆく。海はほとんど静かで、穏やかだった。冬といえど、日中はほんわかと暖かく、散歩には絶好の日和だったが、車も人も数えるほどにしか見かけなかった。
しばらくそのまま歩いていると、遠くの波打ち際にポツンと白い建物が見えて来た。なんだろう? 遠目から見ると、それはもはや海の中で足元を波にさらわれるかのごとく建っている感じだ。だんだんと近づいてきて、ようやく正面までやってくると、それは完全に廃墟のようだが、不思議な形をしている。大きな屋敷‥だったのだろうか、鉄製の門があり、施錠してある‥と思ったら、そのエントランスのすぐ奥におじさんがいて、こちらに気づくとすぐにニコニコ顔で手を振ってくる。なので手を振り返して挨拶すると、おじさん、こんどは手招きしながら階段を降りてくる。このおじさんの家?と思っていると、まるで約束でもしていたように「ようこそいらっしゃいました、どうぞどうぞ、お入りください」‥と、ガチャリと門が開けられた。
「こんにちは。いいお天気ですね。どちらからいらしたんですか?」
「日本です」
「ジャポーン‥」
「ここは‥何ですか? ここに住んでいるんですか?」
「はい。ここは以前はレストランだったのですが、ご覧のように今はもうやっていません。わたしはもうしばらく前からこの建物の守衛をしています。放っておくと変な輩が来て勝手なことしますからね。こうやってここで見張ってるんです」
「えーと、あなたの‥レストランだったんですか?」
「いやいや、オーナーは他にいますよ。わたしは雇われです。問題は、これを壊すのにも相当な金が必要ってことなんですな。まぁわたしとしては、ここでの仕事を気に入ってますがね。」
歩きながら、おじさんはそんなふうにゆっくりとフランス語で説明してくれる。
エントランスから石の階段を少し上がったところのすぐ右手に、元からあったのか、後から建て増ししたのかは知らないが、独立した小さな四角い部屋があり、守衛室のようになっていて、そこからエントランス周辺を見下ろして監視できるようだ。そのすぐ脇に番犬らしい賢そうな毛の短い大きな犬がいて少し吠えられたが、声をかけられるとすぐに止めた。部屋の中には10代半ばぐらいの男の子と30代ぐらいの男性が座っていて、おじさんに促されると手を上げて挨拶してくれる。
おじさんに案内されるがまま、そこからさらに数段あがってアーチ状に開いた壁を抜けると、そこはおそらく以前はいくつもの部屋やテラスだったであろう空間が思った以上に広がっていた。朽ちた装飾、錆びついた鉄筋むき出しになった柱や、崩れた梁や壁が、もの哀しげに残ってはいたが、視界を移せば、断崖の映える美しい海岸線から、遥か遠くの水平線まで全てを見渡すことができた。
少し先の沖側の方で、ジャージを着た20代くらいの男性が竿を持って立ち、のほほんと魚釣りをしていた。彼は片手に包帯を巻いていてたので、「大丈夫?」と聞いてみると、わざとらしく「あいててて‥」的なジェスチャーをして見せてくれたが、その包帯の巻き方から、ちゃんと病院には行ったようだった。どうも指をどこかで骨折したらしい。
その横で、ちょっぴり真面目な顔しておじさんが云う。
「ここでは、こうやって好きなだけ魚を釣ることができるので、食べ物の心配はありません」
さらに奥へと行くと、おそらく建物の基礎となっていたであろう、今はもう崩れた岩礁の穴から、大きな波が当たるごとにプシューっと噴水のごとく水が飛び上がり、しぶきが跳ねていた。
「どうして、ここにこれを建てたんでしょう? 海水にやられますよね、これだけ浸かっていたら‥」
「はい、夜はもっと水が来ますし、嵐の時は大変です‥。なぜかはわたしらにはわかりませんが、おそらく、最初はいいアイデアだと思ったんでしょうなぁ、きっと」
「でも、これだけ景色がいいし、ちょっと残念‥」
「いや、そうなんです。晴れていれば最高ですし、おかげで今の所わたしはここで自由に暮らせていますしね」
と、笑っている。
ぐるっと一通り見せてもらったところで、釣りをしていたお兄さんも一緒に守衛室に戻ると、お湯をわかして、お茶を入れてくれる。
おじさん以外はフランス語が通じないので、通訳してもらいながら聞くと、一番若い男の子はたしか、16か17歳だった。学校には行っていないらしい。魚を釣ってた人は思ったよりも若くて22ぐらい、もうひとりは29とかだった。突然の訪問客にちょっと戸惑ってもいるようで、口数も少なく、ほとんど話せなかったのだが、モロッコでは、働き口があまりなく、特にオフシーズンのこの場所では、暇になってしまう人も多いようだった。おじさんは、そんな彼らをアシスタントとして受け入れている‥というか、居場所を与えてあげているような印象で、そして彼らはというと、おじさんをきちんと敬い、素朴でまじめ、そしておじさんと同じような静けさと落ち着きをまとっているように見えた。
お茶を飲み終えると、お礼を云い、それから「上の道から写真を撮るから、みんなちょっと待っててね」と伝えてそこを後にする。また門を開けに降りて、そこから見送ってくれたおじさんは、上から写真を撮ったあとも、お互いが遠く小さくなるまで、ずっと手を振ってくれていた。
「撮った写真を送るよ」と云うと、普通に住所らしきものをさらさらと紙に書いて手渡されたので送ってみたが、果たしてあのへんぴな場所に、郵便がちゃんと届けられたかな‥? そうだといいのだけれど‥。

